研究パラダイムとは何か―「アンケートかインタビューか」を決める前に考えること
研究を始めるとき、「アンケートをしよう」「インタビューをしよう」「参与観察をしてみよう」と、最初に研究方法を考えることがあります。
しかし、その前に考えておきたいことがあります。
そもそも、自分は研究対象となる「現実」をどのようなものとして捉えているのでしょうか。また、その現実について、私たちはどのように知ることができるのでしょうか。
例えば、「学校に行かない子ども」について研究するとします。
学校に行かないことに関連する要因を測定し、その傾向や関係を明らかにしたいのか。それとも、子ども自身が学校に行かないという経験をどのように捉え、意味づけているのかを理解したいのか。さらに、その経験の背景にある学校制度や社会の「当たり前」そのものを問い直したいのか。
同じ現象を研究していても、何を「現実」と捉え、何を「知る」ことを目指すのかによって、研究上の問いや研究の進め方は変わってきます。
こうした研究の前提となる考え方に関わるのが、研究パラダイム(research paradigm)です。
1.研究パラダイムとは何か
「パラダイム」という概念は、科学史家Thomas Kuhnによって広く知られるようになりました。教育研究を含む社会科学では、研究対象となる社会や集団をどのように見るのかを規定する「規範や思考の枠組み」として捉えることができます(今福, 2019)。
研究パラダイムを理解するうえで重要なのが、存在論(ontology)と認識論(epistemology)です。
存在論は、「現実とは何か」「何が存在しているのか」をめぐる考え方です。
それに対して認識論は、「その現実について、私たちはどのように知ることができるのか」をめぐる考え方です。
そして、こうした前提と結びつきながら、研究目的を達成するためのアプローチを体系的に考えるのが方法論(methodology)です。
さらに、インタビュー、参与観察、質問紙調査など、実際にデータを収集・分析する具体的な方法が研究手法(methods)です。
今福(2019)が指摘するように、methodologyとmethodsは同じものではありません。例えば、エスノグラフィーは方法論であり、その中で参与観察やインタビューなどの研究手法が用いられます。
図1に示すように、研究課題、哲学的前提、研究パラダイム、方法論、研究手法は相互に関連しています。したがって、研究は単純に、「アンケートか、インタビューか」から始まるわけではありません。大切なのは、それぞれを機械的な手順として捉えることではなく、研究全体として整合しているかを考えることです。

また、研究パラダイムについて考えることは、研究に難しい哲学用語を付け加えることではありません。「なぜ、この問いを、この方法で研究するのか」を説明するための土台を考えることなのです。
2.実証主義―現実を客観的に捉える
代表的な研究パラダイムの一つが、実証主義(positivism)です。
実証主義では、人間がどのように考えるかとは独立した現実が存在し、それを客観的に観察・測定することができると考えます。
例えば、「家庭の社会経済的背景と子どもの学力には、どのような関係があるのか」という問いを考えてみましょう。
家庭の所得や親の学歴、子どもの学力などを測定し、多くの人から得られたデータを分析することで、変数間の関係や規則性を明らかにしようとします。
今福(2019)は、実証主義では研究者と研究対象を独立したものと捉え、客観的な観察や測定を通して、因果関係や規則性を見いだし、一般化可能な知識を得ることが重視されると整理しています。
こうした考え方は、仮説検証、測定、統計分析などを用いる量的研究と親和性があります。
ただし、「量的研究=実証主義」ではありません。量的研究にも異なる認識論的立場があり、どのような方法を用いるかだけで研究パラダイムが自動的に決まるわけではありません。
3.ポスト実証主義―現実は存在する。しかし、完全には知ることができない
実証主義に対する批判から発展した考え方の一つが、ポスト実証主義(post-positivism)です。ポスト実証主義も、研究者とは独立した現実が存在するという考え方を基本的には維持しています。
大きく異なるのは、「その現実を、人間が完全に客観的に知ることはできるのか」という点です。
研究者自身にも経験や知識、価値観があります。また、どのような概念を測定するのか、どのようなデータを用いるのか、どのような分析方法を選ぶのかによっても、得られる知識は影響を受けます。
そこでポスト実証主義では、一つの研究によって「これが絶対的な真実である」と証明するというよりも、仮説を批判的に検証し、反証可能性を重視したり、異なるデータや方法から検討したりしながら、完全には捉えきれない現実について、より妥当な理解に近づこうとします(今福, 2019)。
単純化すれば、実証主義「客観的な現実が存在し、それを客観的に知ることができる」であり、ポスト実証主義「客観的な現実は存在する。しかし、それについての私たちの知識は常に不完全である」という違いとして捉えることができます。
ここから、一つの問いが生まれます。
研究とは、「真実を明らかにすること」なのでしょうか。それとも、限界を認識しながら、より妥当な説明に近づいていくことなのでしょうか。
この問いに対して、さらに異なる考え方をするのが構成主義・解釈主義です。
4.構成主義・解釈主義―人々は世界をどのように意味づけているのか
構成主義(constructivism)や解釈主義(interpretivism)では、研究者から独立した「唯一の現実」を発見することを研究の前提とはしません。
人は、自らの経験や知識、他者との関係を通して、出来事を理解し意味づけています。そのため、同じ出来事を経験しても、その「現実」はすべての人にとって同じとは限りません。
例えば、不登校について、「学校に行かなくなった経験を、本人はどのように捉えているのか」、「本人にとって、『学校に行く/行かない』とはどのような意味をもっているのか」と問うことができます。
ここでは、研究者があらかじめ用意したカテゴリーに経験を当てはめるだけではなく、その人が経験をどのように理解し、意味づけているのかを、その人が置かれている文脈の中で理解しようとします。
今福(2019)は、構成主義では現実は人々の経験や知識、他者との相互作用によって構成されると説明しています。また、研究者と研究対象者を完全に切り離すことはできず、研究によって得られる知識も、両者の相互作用の中で構成されると考えます。
そのため重要になるのが、再帰性(reflexivity)です。
研究者自身も、特定の経験、知識、価値観、社会的立場をもっています。「自分はこの人の語りをなぜこのように解釈したのか」「自分の立場は調査や分析にどのような影響を与えているのか」と、自分自身を研究過程の外側に置かずに問い直します。
ただし、構成主義は「人によって考え方が違うのだから、どの解釈でもよい」という意味ではありません。研究者には、どのようなデータから、どのような過程を経て、その解釈に至ったのかを示すことが求められます。
では、人々自身の意味づけを丁寧に理解できれば、それで十分なのでしょうか。例えば、ある生徒が、「大学には自分のような家庭の人が行くところではない」と考えていたとします。
その経験や意味づけを理解すると同時に、「なぜ、そのような考え方が生まれる社会になっているのでしょうか。」と問うこともできます。
そこに社会階層、制度、文化、権力関係などが関わっていると考えるならば、別の研究の問いが見えてきます。
5.批判理論―その「現実」はどのように作られているのか
こうした社会構造、文化、権力関係などに目を向けるのが、批判理論(critical theory)を背景とした教育研究です。
ここでいう「批判的」とは、単に既存の教育や研究を否定したり、問題点を指摘したりすることではありません。
Kemmis(1991)は、批判的教育研究を、認識論的、認知的、文化的、政治的という四つの意味で既存のあり方に対して oppositional な研究として論じています。人々の社会についての理解そのものが、言語や文化、伝統、社会・経済構造などによって形成され、ときには歪められている可能性に目を向けます。
つまり、「人々はどのように世界を理解しているのか」だけではなく、「なぜ、そのように世界を理解するようになったのか」、「その理解を支えている社会的・文化的条件は何か」まで問い直します。
Kemmis(1991)は、解釈的な教育研究が当事者自身の意味づけを理解することの重要性を認めながら、それだけでは十分ではないと論じています。当事者自身の理解も、本人が直接にはコントロールできない社会構造や制度によって形づくられている可能性があるからです。
例えば、教育格差について、「家庭の社会経済的背景によって学力にどの程度の差があるのか」と問うことができます。あるいは、「経済的に困難な家庭の子どもは、学校生活や進学をどのように経験しているのか」と問うこともできます。
批判的な研究では、以下のような問いが立てられます。
「なぜ、そのような格差が生み出され、維持されているのか」
「学校制度や教育実践は、その格差を縮小しているのか、それとも再生産しているのか」「誰の知識、文化、価値観が学校の中で『標準』とされているのか」
そして、Kemmisの批判的教育研究には、社会を理解するだけではなく、その変革にも関わろうとする志向があります。教育を、社会的・文化的な再生産だけでなく、変革にも関わる営みとして捉えるのです。では、不平等や問題を明らかにしたあと、研究者はそれを記述するだけでよいのでしょうか。
6.参加型アクションリサーチ―誰が研究し、誰が変えていくのか
この問いにつながる研究アプローチの一つが、参加型アクションリサーチ(Participatory Action Research: PAR)です。
一般的な研究では、研究者が研究課題を設定し、調査対象者からデータを集め、研究者が分析して論文を書くというように、「研究する人」と「研究される人」が分かれていることがあります。
PARでは、この関係そのものを問い直します。
Kaukko and Fertig(2016)は、PARをGlobal EducationやSocial Justiceとの関係から検討しています。PARでは、研究対象となる人々を単なる「研究される人」とするのではなく、自分たちに関わる問題を明らかにし、考え、行動する研究の主体として位置づけることを重視します。
アクションリサーチでは、例えば、以下のようなステップを循環的に繰り返します。
(1)問題を考える
(2)改善のための行動を計画する
(3)実践する
(4)何が起こったのかを振り返る
(5)次の実践につなげる
研究によって知識を生み出すことと、実践を改善することが切り離されていません。また、研究対象となる人が研究活動に少し参加すれば、それだけでPARになるわけではありません。
誰が研究課題を決めるのか。誰が「何が問題なのか」を決めるのか。誰がデータを解釈するのか。誰のために研究成果が使われるのか。こうした観点が重要になります。
Kaukko and Fertig(2016)が説明するように、PARは開発研究において、外部の研究者や開発機関が問題を設定し、現地の人々を調査対象とするようなtop-downな研究への対抗的なアプローチとしても発展してきました。
批判理論とPARには、社会的不平等や権力関係への関心など多くの共通点がありますが、同じものではありません。Kaukko and Fertig(2016)は、PARでは特に変化(change)と行動(action)が重視されると指摘しています。
なお、PARを実証主義や構成主義などと同じ意味で「パラダイム」と呼ぶかについては、文献によって整理が異なります。今福(2019)が紹介するGuba and Lincolnの整理ではparticipatory action researchがパラダイムの一つとして挙げられていますが、Kaukko and Fertig(2016)はPARをmethodologyとして位置づけています。
名称をどこに分類するかだけでなく、誰が研究課題を設定し、誰が知識を作り、その研究によって何を目指すのかを考えることが重要でしょう。
7.教育開発研究ではどうなるのか―「誰が問題を決めるのか」
PARの考え方は、教育開発(educational development)の研究を考えるうえでも重要です。
Kaukko and Fertig(2016)が紹介している事例の一つが、EdQual(Implementing Education Quality in Low Income Countries)です。
EdQualは2005年から2010年にかけて実施され、低所得国における教育の質の改善を目的として、英国とアフリカの大学が協働して取り組んだプロジェクトでした。そこでは、就学者数や就学率だけでなく、学校や教室における教育・学習の質にも焦点が当てられました。
ガーナとタンザニアで行われた学校リーダーシップに関する研究では、学校管理職自身がアクションリサーチに取り組みました。研究者が学校の問題を外から決めるだけではなく、学校管理職自身が自校の状況を振り返り、子どもたちの学習に影響している具体的な課題を明らかにし、改善のための実践につなげていきました。
ここで重要なのは、単に「現地の人にも研究に参加してもらった」ということではありません。そして、誰が問題を立て、誰が知識を生み出すのか。そして、その知識を誰が教育改善のために使うのか。こうした研究のあり方そのものが問われています。
教育開発研究では、ときに、「途上国の教育を、私たちはどのように改善すればよいのか」という問いを立てがちです。PARの視点から考えると、「誰が教育の問題を定義し、誰がその改善の方向を決めるのか」という問いも必要になります。
研究方法を考えることは、単に「どのようにデータを集めるか」を考えることだけではありません。誰が知識をつくる主体なのかを考えることでもあるのです。
8.どのパラダイムが「正しい」のか
ここまで読むと「結局、どのパラダイムを選べばよいのだろう?」と思うかもしれません。
しかし、これらを「どれが最も優れているか」という序列として捉える必要はありません。
例えば、途上国の大学における奨学金を研究するとします。
表1 同じ研究テーマでも、研究パラダイムによって「問い」は変わる――奨学金研究の例
視点 | 奨学金についての問いの例 | 主な関心 |
実証主義・ポスト実証主義 | 奨学金を受給すると、大学への進学可能性は高くなるのか | 効果、関係、規則性 |
構成主義・解釈主義 | 奨学金を受給した学生は、その経験をどのように意味づけているのか | 経験、意味、文脈 |
批判理論 | 誰が奨学金にアクセスでき、誰が排除されているのか | 不平等、制度、権力関係 |
PAR | 学生自身とともに制度の問題を明らかにし、改善していくにはどうすればよいか | 参加、行動、変革 |
出典:筆者作成。
注: 各研究パラダイムと研究上の問いとの関係を理解するための例として作成。実際の研究では、研究課題や理論的立場によって異なる組み合わせがありうる。
表1に示すように、同じ「奨学金」というテーマでも、何を知りたいのかによって研究上の問いは異なります。
「奨学金を受給すると、大学への進学可能性は高くなるのか」という問いであれば、受給状況と進学との関係をデータによって検討する研究が考えられます。一方、「奨学金を受給した学生は、その経験をどのように意味づけているのか」と問えば、学生自身が経験している現実や、その意味を理解することが中心になります。
さらに、「誰が奨学金にアクセスでき、誰がそこから排除されているのか」と問えば、個人の経験だけでなく、その経験を生み出している制度や社会構造、権力関係にも目を向けることになります。
そして、「学生自身とともに奨学金制度の問題を明らかにし、改善していくにはどうすればよいか」と問えば、PARのようなアプローチも考えられます。
同じ「奨学金」というテーマでも、
効果や関係を明らかにする
経験や意味を理解する
不平等を生み出す構造や権力関係を問う
当事者とともに問題を明らかにし、変えていく
という異なる研究の問いを立てることができます。ただし、これを「測る → 意味を理解する → 構造を批判する → 変革する」という研究の発展段階として捉えるべきではありません。
何を知りたいのかによって、適切な問いもアプローチも異なります。
ある政策がどの程度の効果をもっているのかを知りたいのであれば、その効果をできる限り厳密に推定することには大きな意味があります。一方、その政策を人々がどのように経験しているのかを知りたいのであれば、効果量だけでは捉えられない現実があります。パラダイムについて考えることは、研究者に特定の立場を選ばせるためのものではありません。
むしろ、「私は、この研究で何を知ろうとしているのか。そして、なぜこの方法でそれを知ることができると考えているのか。」と、自分自身の研究の前提を問い直すためのものです。
9.「方法」から研究を始めない
研究を始めるとき、私たちはつい、
「アンケートをしよう」「インタビューをしよう」「統計分析をしよう」と、研究手法から考えてしまいます。
しかし今福(2019)が論じるように、研究をデザインする際には、存在論や認識論といった哲学的前提、研究パラダイム、方法論、そして具体的な研究手法のつながりを意識することが重要です。例えば、インタビューを行うというだけでは、その研究が構成主義的であるとは限りません。
同じインタビューでも、人々が経験をどのように意味づけているのかを理解するために用いることもあれば、社会の中で見えにくくなっている不平等や権力関係を明らかにするために用いることもできます。大切なのは、方法そのものではなく、その方法をどのような問いと考え方のもとで用いるのかということです。
研究を始めるときには、次のように考えてみるとよいかもしれません。
私は、何を明らかにしたいのか。
そこでいう「現実」を、どのようなものとして捉えているのか。
その現実について、どのように知ることができると考えているのか。
そして、その考え方と、自分が選んだ方法論や研究手法は整合しているのか。
研究パラダイムについて学ぶことは、研究を難しくするために哲学用語を増やすことではありません。
むしろ、「なぜ私は、この問いを、この方法で研究するのか。」を自分の言葉で説明できるようになるための土台なのだと思います。
参考文献
今福輪太郎(2019)「理論的貢献ができる研究をデザインする:研究パラダイムの理解の重要性」『医学教育』50(1), 53–60.
Kemmis, S. (1991). Critical education research. The Canadian Journal for the Study of Adult Education, 5(Special Issue), 94–119.
Kaukko, M., & Fertig, M. (2016). Linking participatory action research, global education, and social justice: Emerging issues from practice. International Journal of Development Education and Global Learning, 7(3), 24–46.
注
本稿は、研究パラダイムについて初学者にも理解しやすいよう、主要な考え方を簡略化して整理したものです。研究パラダイムや方法論の分類・定義には、研究領域や論者によって異なる整理があります。特に参加型アクションリサーチ(PAR)については、パラダイムとして位置づける議論と、方法論として位置づける議論があります。本稿の整理についてお気づきの点がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。


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